ショーシャンクの空に・ブルックスここにありきの意味は?何の罪で50年も服役?

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『ショーシャンクの空に』で最も涙を誘うエピソードは、ブルックスの自殺ではないでしょうか。

彼は50年の服役のあと仮釈放となり、住む場所や仕事をあてがわれて社会復帰しましたが、結局は首をつってしまいました。

彼が壁に刻んだ「ブルックスここにありき」にはどんな気持ちが込められていたのか?

また、ブルックスはそもそもなぜ50年もの間服役することになったのか?

調べてみてわかったことをお伝えします。

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ショーシャンクの空に・ブルックスここにありきの意味は?

ショーシャンクの空にで刑務所を出たブルックスが住んでいた部屋、そこに「ブルックスここにありき」と記して彼は首をつりました。

彼が刻んだ一言には何か特別な意味があったのでしょうか。

ブルックスここにありき(Brooks was here)は存在証明

「ブルックスここにありき(Brooks was here)」という言葉は、彼が自分の存在証明として刻んでおきたかった言葉なのだと思います。

俺はここまで来た、ここで生きていたということを誰かに見てほしいという願望の表れではないでしょうか。

ブルックスは手紙に「自分が死んでも誰にも迷惑がかからない」と書いていましたが、自分の存在が忘れ去られることに寂しさや悲しさを感じていたのだと思います。

だからこそわざわざ刑務所にいる友人に手紙を書き、自分の気持ちを伝えたのでしょうし、壁にも「ブルックスここにありき(Brooks was here)」と刻んだのでしょう。

部屋の壁に刻めば、次にその部屋に住む人が必ず目撃します。たとえそれが見ず知らずの他人であっても、その人には自分の存在が伝わるからです。

事実、レッドが同じ部屋に住むことになり、「ブルックスここにありき(Brooks was here)」の隣に「レッドもここにありき(So was Red)」と刻みました。

レッドも塀の外で暮らしてみて、ブルックスの心境に共感したんですね。

実は第二次大戦中の兵士たちの間で同じような落書きが流行っていたそうで、もともとは

「Kilroy was here(キルロイ来たれり)」

というフレーズを書くことが多かったとか。

情報統制のため個人名や部隊名を正確に書くことはできなかったはずなので、みな同じ名前を使ったのかと思われます。

新たな戦地に赴くたびに自分がここに来たという証拠を刻むという行為は、いつ命を落とすかわからない戦場だからこそ”俺はここにいたんだ!”と記録したくてやってしまうことなんでしょうね。

そういう意味では、ブルックスにとって刑務所の外側こそ戦場だったのかもしれません。

死後は「ブルックス記念図書室」に名前が残った

ブルックスの死後、図書室は「ブルックス記念図書室(Brooks Memorial Library)」になりました

アンディの努力が実って図書館に予算がつき、受刑者が高校卒業資格の勉強を始めるようになった頃の出来事です。

ブルックスの名前が木製のプレートに刻まれる様子がちらっと映りました。

長年図書の管理を行い、配達屋レッドの手伝いをするなど受刑者たちの暮らしを少しでも文化的にすることに貢献したブルックスの功績が報われましたね。

おそらくアンディの計らいによるものだと思いますが、粋なことするなぁと思ったシーンでした。

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ショーシャンクの空に・ブルックスは何の罪で50年も服役?

ショーシャンクの空にのブルックスは何の罪で50年も服役したのでしょうか?

妻と子どもを殺した(原作での設定)

映画では描写されていませんが、ブルックスは妻と子どもを殺した罪で服役していました。

殺人罪が二人分適用されたため、50年という長期にわたる収監になったわけですね。

原作ではブルックスが大学を卒業したインテリであるとも書かれているので、罪状も経歴もアンディと似ています。

アンディの食事に入っていたイモムシをブルックスのペットのひな鳥にあげたことから始まった二人の関係。

アンディは鳥を育てるという、未来への希望を感じさせる趣味をもつブルックスの存在を好ましく思っていたのではないでしょうか。

ヘイウッドにナイフを突きつけた理由は”塀の外への恐れ”

本の管理をしたりペットのカラスの世話をしたりと穏やかな老人にしか見えないブルックスが、ヘイウッドにナイフを突きつけたことがありました。

仮釈放が決まったとき、「元気でな」声とをかけたヘイウッドがブルックスに羽交い締めにされ、首にナイフを突きつけられたのです。

ブルックスが刃物を持ち出したのは、刑務所内で問題を起こせば仮釈放が取り消しになると思ったからでしょう。

せっかく自由になれるのに、どうしてこんなことをしたのでしょうか。

それはブルックスが塀の外の生活を恐れていたたから。塀の外に出ることを祝うヘイウッドの言葉に怒りを感じてしまったからです。

日本の生活の50年前を考えてみても、当時の日本人が突然今の時代で暮らすことになったら相当に戸惑うと思います。

電話は1家に一台の黒電話。もちろん携帯電話はありません。

テレビも各家庭にありましたが、リモコンなどなく、テレビ本体のレバーを回転してチャンネルを変更。

マクドナルドの1号店やカップヌードルが1971年に誕生したばかりで身近なものではなく、コンビニもなし。何もかも今とはかなり感覚が違いますよね。

実際に街で暮らし始めたブルックスは「何もかも速い。刑務所に入る前、自動車はたまに見かける程度だったが、今は沢山の車が走っている」というようなことを手紙に書いていました。

ブルックスは生活のあらゆるところでこういうギャップを感じたでしょうから、高齢ということもあり毎日の暮らしが非常に辛かったでしょう。

刑務所から出たくない・出られる状態でない人は日本にも沢山いる

レッドが終身刑は人間を廃人にすると言っていましたが、刑務所の暮らしが受刑者にとって”普通の暮らし”になってしまい、塀の外で暮らすのが大変な状況というのは日本にもあるようですね。

「刑務所しか居場所がない人たち : 学校では教えてくれない、障害と犯罪の話」本をたまたま手に取ったのですが

実は刑務所には障がい者が多く収監されていたりなど、社会で普通に働いて生活することが難しい人がたくさん集まっているそうです。

50年という時間を刑務所で過ごすことは、罪を悔い改めるために必要なことかもしれません。

しかし一方では収監された人を、表現はよくないですが”世情に疎いお荷物”扱いされるような人間にしてしまう側面もあるということでしょう。

レッドと違い悲劇になった理由は友だちと希望を失ったから

ブルックスは自殺しましたが、レッドは同じ道を選ばずに生き残りました。

その理由は、レッドは友だちと希望を失わずに済んだからだと思います。

ブルックスの「ブルックスここにありき(Brooks was here)」の隣に「レッドもここにありき(So was Red)」と書いたレッド。

何十年も刑務所で過ごして仮釈放となった境遇は似ていますが、彼らの人生の結末は全く違います。

レッドはアンディとの約束を思い出して手紙を読み、メキシコのジワタネホに向かいました。

刑務所の外で自分を必要としてくれる友人がいるということそのものが、レッドにとって生きる希望になっていると思うのです。

対照的に、ブルックスは仮釈放を目前にして、一番の友人だったペットのカラスを手放さなくてはならず、仕事にもついていけず、塀の外に自分を必要としてくれる人はいませんでした

ブルックスの「自分が死んでも誰にも迷惑はかからない」という言葉は、未来への希望を失った人の言葉なのだと思います。

映画ではカラスの行方はわかりませんが、小説では、鳩が放された次の週にいつもその受刑者が座っていた場所で死んでいました(ちなみに原作で鳩を飼っていたのは別の受刑者です)。

映画でもアンディたちがカラスの死骸を刑務所内で発見するシーンが撮影されていた(カットされた)という噂もあるようです。

もしそのシーンが残っていたら、人間に飼いならされ野生に戻れなかったカラスの姿がブルックスと重なって、ますます涙を誘うストーリーになっていたでしょうね。

ショーシャンクの空にのブルックスここにありき・何の罪かまとめ

『ショーシャンクの空に』で自殺してしまうお爺さん、ブルックスについて「ブルックスここにありき」の意味や何の罪で50年服役したのかなどをご紹介しました。

ブルックスが刑務所で過ごした50年の間に世の中は大きく変わり、彼には塀の外で愚痴を聞いてもらったり頼りにできる友人もいませんでした。

たった一人で生きるために闘い抜くうちに、疲れ切って自分の将来に希望を持てなくなり自殺するのも無理ないのかもしれません。

レッドがアンディから誘いを受けメキシコに赴いたように、人は支え合ってこそ希望を持ち続けられるものなんでしょう。

ショーシャンクの空には、やっぱり味わい深いですね~。

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