『千と千尋の神隠し』で千尋が電車に乗るシーンがとても幻想的で美しいと思うんですが、気になったのは「昔は戻りの電車があったんだが、近頃は行きっぱなしだ。」という釜爺の言葉。「帰りは線路をあるいてくる」と千尋が言っていましたし片道しか乗れないようです。
どうしてそんな設定になっているのか、その理由を調べてみたら色々興味深い説を見つけました。私なりの考えもいれつつご紹介します。
千と千尋の神隠しの電車が行きっぱなしで戻りの電車がない理由は?
千と千尋の神隠しの電車は行きっぱなしで、戻りの電車がありません。画面に描かれている線路は1本だけですから、行きの電車用の線路しかないことは確かです。
どうして戻りがない電車が運行されているのでしょうか。
千尋が乗った電車はあの世に向かって進む電車だから(定説)
電車の切符をくれた釜爺によると「昔は戻りの電車があったんだが、近頃は行きっぱなしだ。」ということです。
切符は40年前の使い残りだと言っていたので、当時は戻りがあったということですよね。それが現在は行きっぱなし=逝きっぱなし、なのではないかという解説を見つけました。
つまり、千尋が乗った電車はあの世行きの電車だということです。
この意見は都市伝説の定説になっているようで、ウェブ上でたくさん見かけました。そう考えたくなる根拠はどこにあるのでしょうか。
あの世行きの電車だと考えられる理由5つ
ウェブ上では海原電鉄はあの世行きの電車だという解釈が定番になっています。その理由としては
2 戻れないのは時間の流れと同じ
3 目的地の中道=「ちゅうどう」と読むと仏への道を意味する仏教用語
4 乗客が透けて見えるのは生きる希望を失っている自殺志願者や病人
5 電車を降りる人は自殺を思いとどまるか、病気が治って現世にとどまる人
といった意見が有力なようです。
「中道」という仏教用語は、苦行と楽行の両方を経験した釈迦が、そのどちらでもない真ん中の道を選んで悟りを開いたことから仏への道を意味するのだとか。
電車のシーンが全体的に静かで穏やかに進んでいくのは、心穏やかに悟りの境地に向かう中道のイメージを表現しているのかもしれないですね。
戻りの電車がないのはお盆などの風習が廃れたから
戻りの電車がないのは、仏様の魂を迎えるお盆などの風習が廃れてしまったからだ、という解説もありました。
亡くなった人の魂を迎えるお盆の行事や、お墓参り・法要などがどんどん簡略化され、そういった行事に全く馴染みのない人が増えています。
仏様は迎え火や提灯の明かりを頼りに家に戻ってくるそうです。つまり、仏様を迎える準備をする人がいなければ、魂は帰ってこれません。
釜爺の言葉は、亡くなった人の魂が帰ってこれない状況を言い表しているのではないか、という意見は確かに一理あります。
海原は三途の川、鉄道のレールは人生のレール
海原を走っている電車は三途の川を渡っている船と同じで、鉄道のレールは人生のレールだという意見もあってなるほどと思いました。
三途の川は渡し賃の6文を払って船に乗って渡るので、車掌さんに切符を渡して乗る電車はイメージにぴったりの乗り物です。
川を渡りきって向こう岸につくとあの世ですが、海原電鉄はずっと水の上を走っているので、川を渡りきっていません。つまり千尋はあの世の手前で電車を降りたので死んではおらず、現実にもどれたというわけです。
人生のレールというのはよくある例えですが、映画では線路が水に沈んでいて、ごく近い部分しか見えていません。人生の少し先は見えても遠くまでは見通せないのとおなじかなと思いました。そう考えると、深いですね~。
宮崎駿監督による宮沢賢治「銀河鉄道の夜」へのオマージュだから
『千と千尋の神隠し』で夜の川の上を海原電鉄が走るシーンは、銀河に浮かぶ鉄道を走る電車のようでしたね。宮崎駿監督は宮沢賢治ファンとして知られています。海原電鉄が宮崎監督による銀河鉄道の夜なのだという説もよく見かけます。
「銀河鉄道の夜」は、宮沢賢治が未定稿のまま残して亡くなった作品ですが、その幻想的な世界がクリエイターたちの意欲を掻き立てるらしく、演劇や映画などさまざまなメディアで作品化されています。
ジョバンニは貧しい家に生まれた少年で、彼の父は北方に漁に出かけています。ある日の放課後、仕事を終えたジョバンニは銀河のお祭りに行きますが、ザネリたちにからかわれたので街を離れ、一人丘の上ですごしていました。
するといつの間にか親友のカムパネルラと一緒に銀河鉄道に乗っており、ふたりは天上を旅します。サザンクロス駅を過ぎたところで、気がつくとカムパネルラの姿は消えていました。目覚めたジョバンニが街へ向かうと、ザネリをかばったカムパネルラが水に落ちて亡くなったこと、間もなく父が帰ってくることを知ります。
駅名や駅の数も行きっぱなしと関係がある
電車の内外の様子だけでなく、駅の名前や駅の数にも色々と隠されていることがあるようです。
駅の名前とその数に関する解説を多く見かけたのですが、それを参考にしつつ自分なりに考えたことを書いてみます。
海原電鉄には6つの駅がある
千尋が乗った海原電鉄には次の6つの駅があります。
‣復楽時計台駅(仮):繁華街がある駅
‣油屋駅(仮):千尋が乗った駅
‣南泉駅
‣沼原駅:ホームに女の子がいて、ほとんどの人が降りた駅
‣北沼駅
‣沼の底駅:銭婆の家がある駅
これらの駅の名前や数から色々と連想が広がりました。
駅名は先に進むほど冷たく重く深い場所へ
駅の名前は沼や泉など水に関わる漢字が目につきますが、これは三途の川の水のイメージや千尋の名前の意味である「非常に深い様子」とも関連がありそうです。
まずは楽復時計台駅という駅名ですが、時計台が人生の時間の流れや人生の時刻(生まれた時が夜明け、死ぬ時は夜)を表していると考えられないでしょうか。
鉄道のレールが人生のレールだとすると、南泉はあたたかな水が豊富に湧き出る印象があるので、生きるエネルギーに溢れた若い時期と考えることができそうです。
東西南北は、死んだ人を北枕で寝かせることを考えると北=死という解釈も成り立ちそうですね。
沼原から北沼、沼の底と進むにつれて、駅名が暗く、寂しく、冷たいイメージになるのと、淀んだ水の深みに入っていくような感覚もあります。
千尋(限りなく深い様子)という名前を持つ主人公が、沼の深みに潜っていくような駅名の変化。これは千尋が自分の人生を本質に沿って深堀りしていく様子をあらわしているのかもしれません。
というのは、ハクのために行きしかない電車に乗って恐ろしい婆のところへ行くだけでも、10歳の少女にとって大冒険だと思うからです。
そんな冒険ができるのは、彼女にとってはそうすることが自然なことで、他人のために心から奉仕できる”貢献”という資質を持っているからではないでしょうか。
だからこそリンも「セーン!おまえのことどんくさいって言ったけど、取り消すぞー!」と千尋を認めてくれたのでしょう。
興味深いのは、沼の底駅を降りると壊れた時計があったこと。時計の針は永遠に止まったままで進まないので、人生の時間が止まっていると考えられます。なので、沼の底は限りなくあの世に近い場所なのではと思います。
駅の数が6つ=仏教の六道輪廻と関係があるらしい
駅の数が6つだということで、仏教の六道輪廻と関係があると考える人もいるようです。
釜爺が千尋に「いいか、電車で六つ目の沼の底という駅だ」「とにかく六つ目だ」「間違えるなよ。」としつこいくらい念押しするので、6を強調したいのではないかという指摘ですね。
ろくどう-りんね【六道輪廻】
この世に生きるすべてのものは、六道の世界に生と死を何度も繰り返して、さまよい続けるということ。▽仏教語。「六道」は生前の行為の善悪によって、死後に行き先が決まる六つの世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)。「輪廻」は、車輪が回転してきわまりないように、霊魂は不滅で死後また生まれ変わるという考え方。
映画公開時のパンフレットには、宮崎監督のコメントとして復楽時計台駅と油屋駅の間に2本の線路があると書いてあったそうです。
監督の頭の中に六道輪廻のイメージがあって駅が6つになりその一部が往復できる(環状線、輪廻の輪?)になったのかもしれません。
六道を外れ、7歩目を一歩踏み出したのがお釈迦さまだという情報もあったので、やはり沼の先に7つ目の駅があるとしたら、そこはあの世で仏になる場所と考えるとわかりやすいと思いました。
おまけ:千切符のグッズで海原電鉄の回数券メモがあった!
映画を観ていて気になった電車の切符ですが、なんとメモとして商品になっていますね!
これを使うと、人生の1日1日を大事にしたくなる……かもしれないですよね。
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千尋が釜爺にもらった回数券!?👀
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電車が行きっぱなしで戻りの電車がない理由を考察のまとめ
『千と千尋の神隠し』で千尋が乗る電車は片道しか乗れないようです。どうしてそんな設定になっているのか理由を考察しました。
電車はこの世からあの世へと進んでいて、線路は人生のレールです。海の上を走っているのは三途の川を渡っている状態で、千尋は川を渡りきらずあの世までは行かなかったので現実の世界に戻ってこられました。
駅が6つあるのは仏教の六道に由来しているのかもしれません。千尋は自分の名前が象徴するように、沼の底まで深く潜って自分の本質(他者への献身)に気づきました。
海原電鉄の電車は人生を象徴する電車で、千尋や周囲の人が彼女の本質に気づくきっかけを与えました。