ローマの休日トリビア!赤狩りにあった脚本家の本名クレジットまで58年かかった裏話

『ローマの休日』には色々なトリビアがありますが、公開当時の脚本家名が実は別人の名前だったというのは有名な裏話の一つ。

本当の脚本家名がクレジットされるまで、映画の公開から実に58年もかかりました。

赤狩りで差別を受け、亡くなってからも長い間名前がクレジットされなかった脚本家、ダルトン・トランボのエピソードをご紹介します。

 

ローマの休日トリビア!赤狩りにあった脚本家が別人の名前で執筆

『ローマの休日』のトリビアとして有名なのが、赤狩りという差別を受け、別人の名前で執筆せざるを得なかった脚本家ダルトン・トランボの物語。

脚本家トランボはどんな人なのか、なぜ彼が別人の名前で『ローマの休日』を執筆し、本当の名前がクレジットされるまで60年近くかかったのか解説します。

ローマの休日以前からハリウッドの有名脚本家だったダルトン・トランボ

『ローマの休日』の脚本家ダルトン・トランボは、ハリウッドの黄金期である1950年代から60年代にかけて、第一線で活躍していた有名な映画人です。

1940年の『恋愛手帖』で第13回アカデミー賞脚色賞にノミネートされたほか、1960年の『スパルタカス』・『栄光への脱出』、1968年の『フィクサー』などの脚本を手がけました。

1971年、自らの小説「ジョニーは戦場へ行った」の映画化で監督を務め、カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞しています。

このように彼の功績は非常に輝かしいものですが、1940年代から60年代にかけて、ハリウッドでの彼の人生は波乱万丈でした。

共産主義者が多いとされたハリウッドで赤狩りの標的に

1940年代後半、共産党員だったトランボは「赤狩り」の標的になり、ハリウッドの主要スタジオで仕事ができなくなりました。

赤狩りとは、アメリカとソ連(現在のロシア)が対立していた東西冷戦の時代に行われた、共産主義者への差別・排斥運動です。「赤」は共産主義を象徴する色ですね。

1947年に下院非米活動委員会の第1回聴聞会に呼び出されたトランボは「あなたは共産主義者か、あるいは、かつてそうであったか?」と質問を受けましたが、トランボはアメリカ合衆国憲法修正一条(言論と集会の自由を規定した条項)を理由に証言を拒みました。

この証言拒否によって彼は1948年に議会侮辱罪で有罪になり、1950年に半年~1年の実刑を受けます。

キリシタンの弾圧かよ!とツッコミたくなるような、あからさまな差別ですよね。

共産主義を恐れる風潮がハリウッドを覆いました。仕事がほしければ『私は共産主義者ではない』という準備された文書にサインせよといわれました。
ハリウッド揺るがした赤狩り 抗議した俳優たちの気骨

こんな踏み絵みたいなことが実際に行われていたんですから、本当に恐ろしいことです。

グレゴリー・ペックは赤狩りに反対した一人

ハリウッドの映画人たちがみな赤狩りに協力的だったわけではありません。

たとえば『ローマの休日』で新聞記者ジョー・ブラッドレー を演じたグレゴリー・ペックは、トランボを含む10人の証言・召喚拒否者(ハリウッド・テン)を擁護する立場でした。

ハリウッド・ブラックリストと呼ばれた共産主義者のリストにはあのチャップリンをはじめ数百名の名前があったと言われていますが、彼らを支援しようとする人たちもまた多かったのです。

1953年『ローマの休日』はイアン・マクレラン・ハンター名義で公開

大手配給会社の仕事ができなくなったトランボは、中小の配給会社の仕事を請け負ったり、名義を貸してくれる人(「フロント」と呼ばれる)の名前や架空の名前で大手向け作品を発表していました。

こういった事情から、『ローマの休日』はトランボの友人でフロントのイアン・マクレラン・ハンター名義で公開されました。

この裏話を『ローマの休日』の監督であるウィリアム・ワイラーや、ワイラーに説得されて主役を務めることになったグレゴリー・ペックは承知していたと言われています。

公開から約60年後にようやく本来の脚本家名がクレジットされた

1953年の『ローマの休日』公開から58年後、2011年になってようやく映画のクレジットにダルトン・トランボの名前が加わることが決定。

1993年にアカデミー原案賞がトランボに贈られたことをきっかけに、トランボの息子やその友人が働きかけて実現しました。

1993年ローマの休日のアカデミー原案賞がトランボへ

1993年になって、ようやく『ローマの休日』のアカデミー原案賞がトランボに贈られました。

1990年にベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦が終息。

それを受けて映画芸術科学アカデミーが冷戦時代の差別を正す作業を行い、映画公開から40年後、ついにトランボの手にオスカー像が渡ったのです。

しかし残念ながら本人は1976年にこの世を去っていました。

2011年ダルトン・トランボの名前がクレジットされることに

2011年、『ローマの休日』公開から58年経ち、ようやくダルトン・トランボの名前が映画のスタッフロールにクレジットされることになりました

トランボの息子で脚本家のクリス・トランボと、友人で同じく脚本家のティム・ハンター・ジュニア(イアン・マクレラン・ハンターの息子)が協力。

2人が所属する全米脚本家組合(WGA)に二人の父親の名誉回復を嘆願し、2011年12月19日、『ローマの休日』の原案ストーリーにはダルトン・トランボを、脚本にはイアン・マクレラン・ハンターとジョン・ダイトン(監督からリライトを依頼されたイギリス人脚本家)をクレジットすることが決定。

“赤狩り”で受けた差別が認められ、名誉が回復されるまで実に58年もの時間がかかったのでした。

『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』でもっと詳しく

『ローマの休日』の脚本家トランボの生涯は『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』という映画になっており、当時の世相や彼がうけた差別・弾圧について詳しく知ることができます。

見た人はだれもが、自由の国アメリカでこれほどあからさまな差別・弾圧が行われていたことに驚くと思います。

あまり歴史的な背景に興味のない方でも、トランボの武骨な生き方に胸が熱くなること間違いなし。おすすめの一本です。

『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』 
2015 年/アメリカ/カラー/英語/124分
原題:TRUMBO
配給:東北新社
7月22日(金)TOHOシネマズ シャンテ他 全国ロードショー  
©2015 Trumbo Productions, LLC. ALL RIGHTS RESERVED

ローマの休日・脚本家の本名クレジットまで58年かかった裏話

『ローマの休日』公開から58年後にようやく映画のクレジットに脚本家の本名が記載されたという、有名なトリビアをご紹介しました。

主演女優オードリー・ヘプバーンの美しさや可憐さに目が行きがちですが

脚本家ダルトン・トランボが赤狩りで受けた差別について知ってみると、一つ一つのセリフやシーンが、また別の意味で心に迫ってくるように思います。

もう一度見て、あらためて感動を味わいたいですね。

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